専用車と現地日本語ガイド でプノンペン郊外の見どころをぐるっと巡ります。 初めての方でも安心 !午前または午後の半日で、ポル・ポト政権下で起きた悲劇の舞台を訪ねます。
トゥールスレン では当時の写真や記録を通して「生きた証言」に触れ、
チュンエク では追悼仏塔(ストゥーパ)の前で静かに祈りを捧げます。 深い歴史を学び、平和の大切さを感じることができる意義あるツアーです。
※ 食事:朝食:0回 昼食:1回 夕食:0回
ツアーの評価: ★★★★★
こちらの要望をよく聞いてくださり、できる限り対応していただけて本当にありがたかったです。 もっと見る>>
2025年3月・ビジネス渡航
※各観光地の入場料(お客様負担)
※チケットをお持ちでないお客様は、ガイドにお申し付けください。当日遺跡見学前にチケットセンターまでお連れいたします。
※11歳以下のお子様:半額
※3歳以下のお子様:無料
※4名様~14名様の場合、ワンボックスカー使用につき総額に+5ドル
※15名様以上はマイクロバスをご用意。
詳細はお問合せください。
ご宿泊ホテルお迎え(ホテルのロビー)、チケットをお持ちでないお客様は、ガイドにお申し付けください。当日遺跡見学前にチケットセンターまでお連れいたします。
トゥール・スレン虐殺博物館は、カンボジアの首都プノンペンにあるサイ21(ポルポット)時代の拷問・収容所として悪名高い場所です。
チュンエクは、カンボジアのプノンペンのダンカオにあるかつての果樹園で、1975 年から 1979 年までクメール ルージュによってカンボジア大虐殺の実行犯としてキリング フィールドとして使用されました。
1日お疲れさまでした!ごゆっくりお休みください。
トゥルースレン虐殺博物館は、かつて市民の強制収容所として使われた場所で、カンボジアの大虐殺を象徴するスポットです。もともとは高校として使われていた建物でしたが、ポル・ポト政権では革命に学問は不要であるという考えから、のちに強制収容所へと姿を変えました。当時は、名前が付けられておらず、ただ「S-21」と呼ばれ、刑務所と尋問施設として使われていました。
という容疑をかけられ、この収容所に送還された受刑者は、なんと17,000人ともいわれています。内通者であることを自白すれば処刑され、自白しなければ拷問という、収容所はとても凄惨な場所だったそう。この収容所を生きて出られたのはたったの8人といわれており、いかに過酷な場所だったのかを物語る場所です。
ここは、1975年~1979年、カンボジアを支配したポル・ポト政権による虐殺の記録を伝える施設。
元々高校として使用されていましたが、政権下では収容所に転用されました。↓
ここに収容されて生き残ったのはわずか7名。↓
こちらは、ポル・ポト政権下で命を奪われた犠牲者たちが身に着けていた衣服の一部です。↓
収容所は飛び降り●殺防止のために有刺鉄線が張り巡らされています↓
各拷問部屋には、写真が飾られています。↓
ここで拷問を受けた人々は、政権に反対するとみなされた人々、具体的な証拠などはなく、反逆者とみなされただけで拷問対象になりました。
原始的な農耕社会に戻ろうとしてたため、知識は否定され、教師や医者など知識人も拷問対象となりました。↓
チュン・エク虐殺博物館(通称:キリング・フィールド)は、1975年から1979年のポル・ポト政権下で大量虐殺が行われた、カンボジアの悲しい歴史を伝える場所です。プノンペン市内から車で約30分の郊外にあり、当時処刑場として使われていた現場が保存・整備されています。
慰霊塔↓
そこには膨大な数の人骨を納めた慰霊塔兼納骨堂みたいなものがありました。 トゥール・スレンにもにもたくさん人骨が展示されています。殺された人の遺骨もたくさん残っています。
ここは、ポル・ポト政権時代に犠牲となった人々がどのように殺害されたかを示す資料が展示されている場所です。当時の虐殺の実態を示す証拠品や記録、遺骨などが展示されており、カンボジアの悲劇の歴史を伝えています。↓
チュン・エク虐殺博物館の敷地内には、観光客が見学しやすいように設けられた橋があります。↓
この樹は、たくさんの子供の頭を叩きつけて殺した樹。
慰霊のための腕輪がたくさん飾ってありました。↓
ツアーのご紹介は以上となります。ぜひご参考にしてください。
お手頃価格で気軽に楽しめる、人気の半日ツアーを厳選してご紹介します。