専用車と現地日本語ガイドがご案内する、プノンペン市内の魅力をたっぷり巡る観光ツアー!初めての方でも安心してお楽しみいただけます。午後に、王宮とシルバーパゴダの華麗な世界を堪能するか、ワット・プノンの静かな雰囲気とトゥールスレン大虐殺博物館の歴史に触れるコースをお選びいただけます。1日でプノンペンの見どころを満喫できる贅沢なガイド付きのご旅行です♪
※ 各遺跡の入場料は含まれません。お客様にご負担いただきます。
※チケットをお持ちでないお客様は、ガイドにお申し付けください。当日遺跡見学前にチケットセンターまでお連れいたします。
※11歳以下のお子様:半額
※3歳以下のお子様:無料
※4名様~14名様の場合、ワンボックスカー使用につき総額に+5ドル
※15名様以上はマイクロバスをご用意。
詳細はお問合せください。
ご宿泊ホテルお迎え(ホテルのロビー)、チケットをお持ちでないお客様は、ガイドにお申し付けください。当日遺跡見学前にチケットセンターまでお連れいたします。
プノンペンの王宮は、カンボジア王家の宮殿です。プノンペンの中心地、4つの川の合流地点という地勢的にも重要な場所に位置しています。
ワット・プノンは、カンボジアの歴史や文化を体験する素晴らしい機会であり、多くの観光客にとって不可欠な体験となっています。
地元のレストランにて、クメール料理をご堪能いただきます。
昼食後、暑い時間の観光を避けるためにホテルにて小休憩(約90分)
トゥール・スレン虐殺博物館は、カンボジアの首都プノンペンにあるサイ21(ポルポット)時代の拷問・収容所として悪名高い場所です。
こちら市場はその規模の大きさから、プノンペンで最大の市場とされており、多くの観光客や地元の人々に親しまれています。
1日お疲れさまでした!ごゆっくりお休みください。
🔶 ① 王宮
🔶 ② シルバーパゴダ
🔶 ③ ワット・プノン
🔶 ④ トゥルースレン大虐殺博物館
プノンペンの王宮は、カンボジア王家の宮殿です。プノンペンの中心地、4つの川の合流地点という地勢的にも重要な場所に位置しています。
カンボジア王家の戴冠式や、カンボジアの公式行事が執り行われる玉座ホール(プリア・テェナン・ティーヴィア・ヴィニチャイ)を見学します。
王宮 ↓
「王宮」は広大な敷地に複数の建物があります。
シルバーパゴタは、王宮内にある菩提寺で、王宮の入場料と共通で見学できます。
カンボジアの人々からは、プレア ヴィヒア プレア ケオ モロカット (エメラルド パゴダ) と呼ばれており、さまざまな仏像が安置されています。
1892年に建造されたシルバーパゴタは、もともとは木造の宮殿でしたが、1962年にノロドム シハヌーク王によって現在の宮殿に建て替えられました。
シルバー パゴダの床には 1枚で約1.1キログラムの重さがあるシルバータイルを5,300個以上使用しており、シルバータイルの総重量はなんとおよそ6トンにもなるといわれています。さらに、寺院に通じる階段は大理石のつくりで、王宮のなかでもひときわゴージャスな雰囲気です。
※「王宮」と「シルバーパゴダ」は別の場所になります。
赤の屋根はシルバーパゴダの回廊です。 ↓
回廊には叙事詩「ラーマーヤナ」の壁画が600m以上もあります。
中は見学可能ですが撮影は不可。仏像や装飾品がたくさんありました。
シルバーパゴダ↓
シルバーパゴダの出入り口↓
出口へ向かう途中、心地よい音楽が流れています。
ここで生演奏がされています。↓
ワット・プノンは、カンボジアの歴史や文化を体験する素晴らしい機会であり、多くの観光客にとって不可欠な体験となっています。
その名前は「プノンの山」を意味し、こちらのお寺はプノンペン市内で最も古い場所の一つに位置しています。
ワット・プノンは、都市の中心部にある小高い丘の上に建てられており、周囲には庭園や湖があります。
こちらのお寺は、観光客や信者たちにとって人気のある場所であり、その美しい建築や歴史的な価値によって知られています。
ワット・プノンお寺入口は人気な写真スポットです。↓
ワット・プノンお寺↓
建物の中で仏像が祀っていました。
すごい厳かな雰囲気です。
ジェイペンお婆様
ジェイペン祠
ストウーパ↓
プノンペン大時計です。
人気な写真スポットです。
多くの緑に囲まれた庭園はとても心地です。
トゥール・スレン虐殺博物館は、カンボジアの首都プノンペンにあるサイ21(ポルポット)時代の拷問・収容所として悪名高い場所です。
この拷問所は、カンボジアの歴史上最も暗い時期の一部であり、無実の人々が残虐な拷問や虐待を受け、殺害された場所として知られています。
ここは、1975年~1979年、カンボジアを支配したポル・ポト政権による虐殺の記録を伝える施設。
元々高校として使用されていましたが、政権下では収容所に転用されました。
2万人以上の人々が拷問を受け、ほとんどの人が殺害されました。↓
ここに収容されて生き残ったのはわずか7名。
収容所は飛び降り●殺防止のために有刺鉄線が張り巡らされています
各拷問部屋には、写真が飾られています。
ここで拷問を受けた人々は、政権に反対するとみなされた人々、具体的な証拠などはなく、反逆者とみなされただけで拷問対象になりました。
原始的な農耕社会に戻ろうとしてたため、知識は否定され、教師や医者など知識人も拷問対象となりました。